本文に書こうと思っていましたが、脱線したので
ちょっと私自身の体験談を・・・。
以前は精神障害の人たちと何人か交流があったのですが、いまは発達障害とか身体障害の人たちと交流があります。
障害者はふつうとは違う感覚世界で生きている。・・・まぁ言葉で書くのはたやすいですが、なかなか理解はできないかも知れません。
むかしよりはそういう人たちが当たり前に暮らす社会になったとしても、やはり関わったことがないとよくわからないと思うかもしれません。
関わってみても、じっさいかれらのことはわからないものですが・・・
たとえば、
「わたしはリンゴは甘いから好きです。」
とAという人がいったとして、Bいう人が
「ぼくはリンゴは酸っぱいから嫌いです。」
といったとします。これは感じ方の違いですよね。人はだれでも食べ物の好き嫌いはありますから、このくらいの意見の違いなんて、日常の中ではよくあります。
ところがCという人は
「リンゴは食べ物ではありません。生き物です。」
という。これを聞いて、AさんとBさんは「Cさんはちょっと変なんじゃないか?」って思う。
障害者の感覚のちがいって、このくらいなんじゃないか。って思うのです。
だけど、ちょっと視点を変えてみてください。
「リンゴは植物ですから、生物である。」という見方もありますからCさんのいってることは真実であり、異常でもなんでもないのです。
AさんとBさんが、「リンゴは食べ物である」という前提で、会話をしていることにCさんが気付かなかっただけのことです。あるいはふつうの人たちが、「リンゴは食べ物だ」ということが「当たり前」の「常識」だと勝手に思い込んでいただけのことです。
しかし、世の中にはべつの感じ方をする人もたくさんいて、当たり前なんてものは
ごく限られた社会の中でつかわれている一部の考え方にしかすぎません。
障害者のみてる世界はその外の世界なのではないでしょうか?
なんとなく私は自分の体験からそう感じるのです。
自閉スペクトラムの障害なんかはまさに「リンゴは食べ物というのが一般的な考え」という社会あるいは会話のなかの「暗黙の了解」が理解しにくいという障害であるといえます。
もうひとつ、私のいま通ってる施設にいる目の見えない女性の話です。
若いけど、成人の女性ですが
最近その子のお兄さんに「彼女」ができたらしく、やたらその話をその子は口にするんですね。目が見えないってだけで、知能や精神に問題があるわけではいのだし、成人女性が
「お兄さんに恋人ができた」くらいのことで、いちいちそんなこと言いふらすものだろうか。
と思うかもしれません。
ところで、目が見えないから不自由だってことは、そりゃ誰でもわかることだろうけど
見えないこと以外にも、他とは違うことがある。ということもあるのです。
たとえば、私たちはふつう男女を見た目で判断します。
いや、中身もたいせつだけど。じゃなくて、初対面の人をまず見た目で男性か、女性か?
って見分けますよね。
目の見えない彼女には、それがありません。
もちろん言葉もわかるし、知能もふつうなので「世の中には男と女がいる」ことは知ってますし、その違いもわかる。お父さんとお母さんがいて、自分がることもわかっている。
ただそれを目で見える情報以外のことで認識しているわけです。
だから男と女をわかっていても、
彼女の中ではわたしたちとはまったく違うイメージがあって、認識も感じ方もちがって、もちろん恋愛とか、家族とか、お兄さんの彼女のことも、わたしたちとは違った感覚で考えているのです。
当たり前のこと言ってると思うかも知れませんが、
そもそも私たちや、社会という集団の中では「当たり前」とか「常識」と思っていることは、じつはそれほど普遍的なものではないのです。
リンゴは食べるものではなく生きているものだ。と感じる人もいるし
男女の違いが人生のうえでそれほど重要なことではないと考える人もいる。
人と関わることで世界とつながるのではなく、自分ひとりの世界で創作をつうじて世界とつながろうとする人もいるのです。
まったく違う感覚世界で生きる人たちの視点を知ることで、
ふつうの人たちも、自分の世界をもっと違う角度から見れるようになると思うし、人間の本質や、当たり前だと思っていることがじつはごく一部の考え方にしかすぎないことに気づくと思います。
障害者の感覚世界をしることはむづかしいですが、
芸術というものを通してならばそれが可能なのではないかと思います。
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